山梨の歴史と古墳についての雑談
山梨は不思議なところ、3世紀から4世紀は奈良と同じ文化でした。
当時から水晶がたくさん出ていました。古墳の床には水晶が敷き詰められていました。
これは奈良でも山梨でも同じように、古墳が見つかるとそういう作りになっていたそうです。
大きい古墳になると、高さは3〜5メートル、横幅は10メートルにも及び、人が立って歩けるほどの広さを持っていました。
甲府市中道町には、山梨の大豪族の古墳があります。
ここは背には富士山、正面には八ヶ岳連峰・南アルプス連峰・秩父連峰を望む、たいへん景観の優れた場所に位置しています。。
山梨は1500年前に水が溜まった盆地でした。富士川へ続く栓が抜かれて、干拓が始まりました。
それまでは湿地体の桶の底が今の甲府盆地でした。
山梨の道は「九道」と言いまして、9つの山の道が続いていました。
市役所の仕事をしていた場所を「酒折の宮」といいます。
「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東方遠征によって、各地にお宮が建立されました。
その1番最初が酒折の宮であり、関東にあるお宮さんはほとんどが酒折の宮の配下となっていたという記録があるそうです。
